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露地書房


2007年3月前半

2007/03/01

露地書房とスパムメール。

 昨日は夜も継続して、露地書房のコンテンツを更新する。やめときゃいいのについついいじってしまうのは、やっぱり中途半端だと思うからだ。最近のオススメを選ぶのに、うたかたの日々の過去ログを見ていって、なかなか選べるものがなくて一年くらい遡ってしまった。もっといろいろ読んだり観たりしていると思ったのに、ロクなことしてないなと愕然とする。
 コンテンツの充実はまだまだ中途半端だけど、やってるとキリがないのでボチボチと整えていくことにして、とりあえず終了。気になる本などは、自分の備忘録もかねたりして商品を追加していく。

 昨日から他にやっているのが、メインPCの環境の整備としてのメールの整理。クライアントのデータが消えると困るものとして、メールがある。サイト関係はサーバ側にデータがあるので影響が少ないが、メールはサーバから読み込んでPC側が正になる。
 ノートをメインにしてからはほとんどノートでメールを読んでいたが、メールデータの保存としてはデスクトップ側を正として、同じものを読み込んでいたのでロストしたメールはない。でも、ほとんどメンテしていなかったため、整理されていないスパムメールの山となっていた。そんなわけでとりあえず、スパムメールの削除やメールの分類などをしていたら夜中までかかってしまう。
 こういうのを考えると、こまめにバックアップしておけばよかったではなく、いっそ全部消えてしまった方がよかったんじゃないかと思ったりして。というのも、たぶん99.9%くらいスパムだから。
 まあ、捨てられない性格の人間のいう強がりだけど。

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遠吠書店。

 文学の遠吠えの田中さんがアマゾンアソシエイトストアで、遠吠書店を作ったので宣伝しておきます。田中さんらしいラインナップでいいなぁ。

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ノートPCを見る。

 近所のビックカメラまで散歩がてら出かけて、ノートPCを見てくる。

 基本的に展示はVista対応製品になっていて、パソコンコーナーの一角にXPコーナーがあった。今まで使っていたのは、3年前に買ったLet's Note W2で、A4でDVDコンパチのマルチドライブ内蔵のもの。今では、同じコンセプトのWシリーズは、Let's Note W5となっていて、Wに続く数字の部分が3つも数字が大きくなっていた。

 このPCを使うまでは、タッチパッドは大嫌いで、キーボードから指を外さずに使えるポイントデバイス派だった。だからその前に使っていたのは、IBM ThinkpadやSony VAIO C1Rだった。ところが、Let's Noteの円形のタッチパッドを使ってからこの考えが一変した。

 タッチパッドの性能もどんどん上がってきたのもあるけど、この丸い形のタッチパッドというのが画期的だったと思う。他のPCの普通の四角いタッチパッドを仕事で使うことがあるが、Let's Noteより使いにくい。四角いエリアと同じくらいの大きさでも、丸い方が指を動かすのに自然で、しかも広い感じがする。しかし一番の特徴は、この丸いタッチパッドの周囲をなぞると、マウスのホイールと同じように縦スクロールができるところだ。くるくる指をなぞり続ければ、無限に上下にスクロールできる。
 Let's Note以外のPCでタッチパッドを使っていると、そのスクロールができなくてすごくストレスを感じる。以来、もうノートPCはLet's Note以外使えないと思うほどである。

 で、今日もLet's Noteを探して、Vistaの使い心地を確認してみたのだが、新機能を試したわけではなくて普通にメモ帳を開いてテキスト入力を試した程度なのに、ちょっと使い安い気がした。一つにはメモリが多めで軽く動いたからかもしれない。だけど、Vistaはまだ早い、XPで十分と思っていたのに、どうせ買うならVistaの方がいいかもと思ってしまった。まだ、第一印象だけどね。

 で、ごくいつもの調子でタッチパッドのスクロールをしようとしたが全然スクロールしないで、カーソルがグルグル動いている。アレッと思って、タッチパッドのプロパティを確認してみたけど、別にホイール機能がオフになっているわけでもない。いろいろ試していて、判ったのだが、右端のゾーンで縦に動かすと縦スクロール、下端のゾーンで横に動かすと横スクロールという風に動くようになっていた。これはVistaの標準の機能みたいだ。

 この操作は、Let's Noteの丸いタッチパッドだと縦のゾーン、横のゾーンいずれも狭い感じがして使いにくい。しかも以前は円に沿って回転させるといくらでも上方向、下方向にスクロールしつづけたが、今度はマウス同様にそのゾーンの端まで行ったら、指を反対端に戻してまたなぞらなくてはならない。これはとても使いづらい。

 ふと思って、四角いタッチパッドの機種で試してみたら、こちらの方がずっと使いやすい。今までもメーカーによって、ドライバの機能でタッチパッドの機能が強化されていて、それぞれ工夫していたのだと思うが、Vistaで標準的にスクロール機能が付いたのだと思う。これがLet's Noteの得意技を打ち消すことになっているとは…。
 四角いタッチパッドの機種で、W5くらいのサイズのPCを探すが、なんとなく気に入ったのはSonyのVAIO type Tだろうか。

 Let's Noteのタッチパッドのスクロール機能が本当になくなってしまったのか気になってので、帰ってから製品ページを調べてみたら、初期インストールされない場合があるが、その場合はダウンロードしてインストール可能とのこと。そりゃ、そうだよなぁ。これ本当に便利だもの。この機能を捨てるのは勿体なさすぎる。

 しかし、Let's NoteもVAIOも20万を超えてしまう。うがぁ。最近はPCを外に持ち出すことはほとんどないのだから、ノートなんかなくてもいいわけだし、しばらく考えよう。考えているときが、一番楽しいし。

 ノートがないので、今日も結構長い時間、自室でパソコンに向かって過ごした。パソコンを使うときは自室でという風に区切りがつくのはいいのだが、やっぱりリビングで使えないのは不便だ。ほとんど、もう躰の一部みたいなもんだからな。あ、それって、パソコン依存なのか。

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最近の読書など。

 ここ数日、急に日常ネタばかりなので、読書状況などを書いておこうかと思う。日記なので、日常について書いても文句をいわれる筋合いはないのだが、その前がほとんど感想のみだったので、バランスをとっておこうというわけだ。

 バランスなんかいらない、お前の日常なんか読みたくないという人もいれば、聞いたこともない映画の話より(最近メジャーな映画が多いのでタイトルくらい聞いたことあるだろうけど)、日常の話の方がいいという人もいるだろうけど。
 ちなみに、少し前はなんで日常話が少なかったかというと、感想を書き始めると、前回と同じくらいの分量は書こうと思い、そのうちにだんだん長くなって、日常について書く余裕がなくなってしまったのだ。日常ばかり書いていると、感想が書けなくなったりする。
 ここ数日、日常ネタばかりになっているのは、PCが故障してメインPCが変わったために、その環境整備にPCを触っている時間が長くて本を読んでいないからだ。

『人はなぜエセ科学に騙されるのか 上』(カール・セーガン 新潮文庫)  で、読書状況の話。本当は先週後半から、『人はなぜエセ科学に騙されるのか 上』(カール・セーガン 新潮文庫)を読んでいて、今頃はこの感想を書いているはずだった。でも、上巻だけ読んで中断中。
 読み始めた理由は、もちろん『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』(スーザン・A. クランシー ハヤカワ文庫)の巻末の参考文献の中にあったから。タイトルから、エセ科学全般の話だと思っていたけど、上巻はほとんどUFOと宇宙人の話で、『なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか』でその真偽についてはあまり論じない(けど、著者は信じていない立場をとっている)のに対して、セーガン博士は結構突っ込んだことを書いていて面白い。

『三四郎はそれから門を出た』(三浦しをん ポプラ社)  並行して、昨日から『三四郎はそれから門を出た』(三浦しをん ポプラ社)も読んでいるけど、こちらはブックガイド的エッセイなので、一気に読み通すというより、並行読みを続けると思う。
 三浦しをんって、小説もエッセイも読むのは初めてで、どんな小説を書くのか知らないのに、エッセイの方を先に読んでしまった。このエッセイを読んでいると、本の紹介のはずがちょっと違う方向に走っていく感じがなんとなく小説の方向性を感じさせて、小説の方も読みたくなった。想像と合っているといいのだが。

 あとは毎日三時間くらいテレビドラマを見ている。先週溜め込んだので、2話ずつまとめて。今年の目標の一つは、「捨てる」だったのだが、ドラマも見るものを選んで残りは「捨てる」、見はじめたものも途中で見切りをつけて「捨てる」つもりだったのだが、結局ほとんど全部観ていて、全然「捨てる」ことができてない。ダメだなぁ。

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2007/03/02

掲示板バグ修正。

 掲示板をそろそろ外そうかと思っていたら、田中さんに書き込みをいただいた。それで掲示板を眺めていたら、ふとしたことでバグを発見した。

 以前、書き込みできないことがあるというコメントを貰って、バグがあるのだろうが何が原因なのかずっと判らないでいた。いたずらとスパムが多かったときにアクセス制限を増やしたのでその所為かと思ったが、その場合はアクセス拒否のメッセージが出るはずなので違う。

 今日気が付いたのは、恥ずかしいくらい単純なバグだった。メニュのリンクにcgiの後ろに'/'がついていたのだ。移動もできるし、表示もできるけど、そこから発言のcgiに移動すると、cgi名のディレクトリの下にさらにcgiという形式になっていて、送信したあと空振りするのだった。うー、単純なミス。とりあえず、直しておきました。

 掲示板にせっかく書き込んでくれたのに、空振りした方がいらしたら、ごめんなさい。今度は大丈夫なはずです。

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過去発掘など。

 デスクトップPCに、W-ZERO3[es]の同期先の環境を作る。これで予定その他はPC側に復活。

 しかし、そのために久々にOutlookを立ち上げたら、6、7年前のメールなんかが出てきてしばし過去を振り返る。さらに、サイトの過去日記を見つけて、さらに深く沈む。
 沈みながら、ファイル整理などをしていたら、すぐに夕方になってしまう。

 同期をしたことで、iTunesで購入した曲がすべておじゃんになったことに気づいた。大して買ってないけど、ガッカリ。

 でも、バックアップしておかなくて失敗したなぁといまだに思うのは、こまめにつけていた小遣い帳というか家計簿と、この間修正したばかりの露地林生成用のExcelファイル。露地林は大した手間ではないが、小遣い帳が悔やまれる。W-ZERO3[es]から復旧したのは、10月の時点のものだった。だいぶバージョンアップしてたんだよなぁ。

 ドラマ鑑賞は、「華麗なる一族」と「わるいやつら」を見る。PCとテレビで一日が終わる。

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2007/03/03

『となり町戦争』

『となり町戦争』(三崎亜記 集英社文庫)  『となり町戦争』(三崎亜記 集英社文庫)を読む。

 想像していたのと違っていて、軽やかな不条理小説だと思った。想像していたのと違っていたのは、戦争というのはむしろ比喩的でとなり町となにかひと騒動起こって、町同志が対立するような話なのかと思っていたから。実際には、広報誌に「となり町との戦争のお知らせ」が載ることから始まる。それ自体尋常ではない話だが、それを読んだ「僕」は職場への車での通勤途中にとなり町を通ることから通勤に支障がないか心配する。不条理だ。

 軽やかなと書いたのは、不条理小説というと、カフカの小説などでは主人公は理屈に合わない酷い出来事に巻き込まれていく、重苦しい話が多いように思うが、この作品ではとなり町との戦争が起こっても、それらしい出来事にはなかなか遭遇しないし、どちらかというとのほほんとした日常が綴られていく。そして、いよいよ主人公が戦争に参加することになったときにも、それは死と隣り合わせの現実的な戦争とは遠い出来事のようにしか思えない。さらには、その通達をしてくる町役場のとなり町戦争係の香西さんの登場もほのかな恋愛話的な要素を感じさせる。

 戦争に巻き込まれても全然リアルな出来事と感じられない「僕」(もちろん読者だって、リアルに感じられない)と、戦争の当事者でありしかしそれを数字でしか捉えられない立場の香西さんの恋愛小説として読んでもいいし、単純に不条理世界を楽しんでもいい。

 それと同時に現実の戦争も、テレビを通してしか見ていない僕や、数字で情勢だけを見ている戦争の指揮者たちにとっても、こんなものかもしれないと思ったりして、穏やかな不条理小説のような顔をして、結構厳しいことを言っているようにも思える。

 以前、「世界が100人の村だったら」とかいうのが流行ったけれど、戦争をそのロジックで分析すると、「もし××戦争が100人の町同士の戦争だったら、1回の戦闘での死者は何人」等々の数字で表せられて、判ったような気になるだろうと思う。でも、数字化されて判ったような気がしても、現実の戦争は全然判らない。『となり町戦争』の戦争の描かれ方を見てると、そういう風に数字化されて判ったように思える戦争を、物語にすることによって、テレビの報道や数字化された分析だけを見て本当にこれであなたは戦争が判っているのか、と詰め寄られているような気がする。
 ちなみに舞台となる主人公の住む町は、戦争開始後最初の広報に載っていた町勢概況によれば、町の人口15,598人で、死亡67人、うち戦死者53人である。100人の村よりはもっと大きいけど。
 そういう厳しいことは、『となり町戦争』の構造というか仕掛けというか、不条理な出来事に、隠れているように思うが、物語自体はもっと身近な感じがする。

 「僕」には(たぶん読者にも)、戦争の実感は感じられないまま戦争は終わる。戦争批判よりも、むしろ感じるのは、戦争以外にも通じる世の中にはどうにもならないものってあるというような無力感の方が強い。

 あくまで事務的な香西さんが、ふとしたところで「僕」に見せる気持ちが救いのような気がしていた。でも、結局最後までどうにもならないものがあるのだと言わざるを得ない結末を迎える。でもどうにもならないものってあるのだろうか。すごく大変だけど、どうにもならないものはない、というささやかな一歩みたいな結末があった方がよかったと思う。甘ちゃんなのかな。

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2007/03/04

二週間の休暇。

 ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』の原題(直訳)は「二年間の休暇」だけど、少年にほど遠い僕の漂流生活は二週間で終わりを告げる。とはいえ、早いもんだ。二週間も続けて休んだのなんて、仕事を始めてから二度目くらいではないかと思う。

 二週間、伸ばし続けた髭も剃った。一応、日常復帰の準備はできている。

 でももう明日から仕事したくない。というか、仕事できるのだろうか。と、言っていても半日もすればすぐに当たり前の生活になってしまうんだろうな。

 それにしても、メールがどれくらい溜まっているのか気になる。メールを読んで一日終わるんじゃないだろうか。

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『龍が如く 劇場版』

 『龍が如く 劇場版』をMOVIXさいたまで観る。

 ゲームの類を全然やらないので、『龍が如く』は名前も知らなかった。何故タイトルに「劇場版」とあるのか、テレビドラマかなにかが元なのかと思って調べて、初めてゲームがあることを知った。ただ、予告ではきらびやかな歌舞伎町の映像と、北村一輝と岸谷五朗が出てきて、B級アクションっぽいところが気に入った。そんなわけで、観に行ったのだけど、どうしようもなく退屈だった。

 まず謎めいた複数のストーリーが並行で進みながら、だんだんに謎が明らかになっていくという展開はいいのだが、全然面白く感じないのだ。RPGで、決められた場所に行くと新たな情報が得られるとか、誰かに会うとアイテムを貰えるとか、ここゲームのお約束部分なんだなと判るのも、もしかしたら元ネタのゲームを知っていると面白いのかもしれないが、ストーリーがゲームに縛られすぎているようにしか思えなかった。

 現金が全然ない銀行に強盗に入ってしまったエピソードも、お金が必要らしい女の子(サエコ)のエピソードも、そんな脇道ではなくて一番物語の中心にある少女の母親探しのエピソードすら、ゲームストーリーを追うためのものでしかない。
 北村一輝の演じる桐生と岸谷五朗の真島の対決シーンも何度もあるが、最後は桐生が勝つのだろうと思えて緊迫感も何もない。なんでこんなに退屈なんだろうと、考えながらずっと観ていた。

 期待していた街のシーンはまあまあいいのだが、歌舞伎町を神室町という名前に置き換えていて、凝った撮影をしているなぁと思ったのもつかの間、シーンが変わったときに背景に「歌舞伎町」という表記が見えてしまう。それが一度ならず何度もあったので、すっかり興をそがれた。

 エンディングに流れるクレイジーケンバンドの音楽が一番よかった。最後に監督三池崇史と出てきて、何となく納得した。『妖怪大戦争』もダメだったのだ。三池監督の作品とは相性がよくないのかもしれない。逆にいえば、三池監督の作品が好きな人は、もしかしてこの作品もツボだったりするのかも。誰か、三池作品のツボを教えて欲しい。

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2007/03/05

『蒼き狼 地果て海尽きるまで』

 『蒼き狼 地果て海尽きるまで』を新宿ミラノで観る。

 本当は、『パフューム −ある人殺しの物語』を観るつもりだったのだが、間に合わず仕方なく隣りの小屋で『蒼き狼 地果て海尽きるまで』を観る。

 2時間20分くらいの映画だが長かった。広いモンゴルの青い空を観ていると、そのうち何とかなるだろうという気がするくらい気持ちいいことと、minkの歌を上映前の館内のBGMも含めてたっぷり聴けたということを除くと、あとはあんまり書くことがない。

 ただ、角川春樹という人は好き嫌いはおいておいてすごい人だなと思う。アメリカの映画を観ていると、みんな英語を喋っている。『マリー・アントワネット』だって、『敬愛なるベートーヴェン』だって、フランス語やドイツ語なんか話さない。バリバリに英語を話す。アメリカではそれが当たり前だけど、日本だと昔なら外国人は妙なイントネーションで話したり、最近なら英語を喋って字幕がつく。もちろん、演じているのはアメリカ人なり、ドイツ人なり、フランス人なり、それなりの人が話す。

 だから、『蒼き狼 地果て海尽きるまで』の予告を初めて観たときに、ものすごく驚いた。チンギス・ハーンってモンゴルでしょ、何故に反町?、と思ったわけである。しかも、力強く日本語で号令をかけている。アジア圏だから顔つきが同系統というのはあるかもしれないが、角川春樹なら日本人キャストでアメリカやヨーロッパの映画を撮れるんじゃないかと思った。これはすごいことだと思う。
 でもそう思ってから調べてみたら、加藤剛主演のテレビドラマの『蒼き狼』ってすでにあるのね。なーんだ。

 それと予告を観ていて、何それと思ったのは、各種マスコミにも取りざたされた総製作費30億円ではなくて、構想27年である。本当に27年前から考えていたのか。いや、本当に27年間考えていたとして、27年も何考えていたんだと思うと、すごすぎる。
 映画のあとのエンドロールを観ていて、あれっと思ったのは原作が森村誠一だったということ。井上靖じゃなかったのかと思ったのだが、井上靖の遺族の方にご了承いただいた云々の言葉が最後に出ていた。井上靖の『蒼き狼』が有名だから、タイトルに言葉を入れたのだろうか。

 森村誠一の原作は、『地果て海尽きるまで―小説チンギス汗』(ハルキ文庫)という。それじゃ、この小説も27年前に書かれていたのかと疑問に思うわけだが、映画の公式サイトの製作発表記者会見の森村誠一のコメントを読んでいたら、「小説でチンギス・カーンを書いてくれという依頼を受けましたのは11年前でございます」とあった。角川春樹のコメントでは、「27年前にウランバートルを訪ねた時、(中略)チンギス・カーンを撮るということは政治的にできなかったわけです。」とあって、なんだ構想27年というより、苦節27年ではないのかという気がした。

 せっかく観たのに、観た話じゃなくて予告の話ばっかりじゃもったいないので、一言だけ追加すると、反町隆史って嫌いじゃないけど特に好きでもないのだが、意外とよかったかなと思う。あー、でもやっぱり長かったなぁ。


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2007/03/06

『少女七竈と七人の可愛そうな大人』

『少女七竈と七人の可愛そうな大人』(桜庭一樹 角川書店)  『少女七竈と七人の可愛そうな大人』(桜庭一樹 角川書店)を読む。

 桜庭一樹の作品を読むのは初めてだが、初めて文章を見たときにちょっと苦手だと思った。そう感じたのは以前桜庭一樹の作品を読んでみようと思って、『少女には向かない職業』(桜庭一樹 東京創元社)を手に取ったときだ。
 僕は、パロディやエッセイなど軽いもの以外のタイトルに、古典の域に達していない最近の作品のタイトルをもじったものをつけるのは、個人的には好きではない。そんなわけで、『少女には向かない職業』というのは、当然P.D.ジェイムズの名作『女には向かない職業』のもじりなわけで、そもそもちょっと引っかかったのだが、女でなく少女という言葉にちょっと惹かれて、数冊ある桜庭一樹の小説の中から思わず手に取ってみた。

 そして冒頭を読んで、なんかちょっと文体が持って回った感じだなと思ったあと、「少女には向かない職業」が「殺人」だとわかった。この時点で、しっくりこなかった。「少女には向かない職業」が「殺し屋」だったらいいのだが、「殺人」って職業じゃないじゃない。その違和感が、文体と合わさって、これは読めないと思って棚に戻してしまった。些細なことなんだけど、そのときにはどうしても受け入れられない気がした。

 今回、やっぱり桜庭一樹を読もうと思ったとき、『少女には向かない職業』に再度挑戦する気にならず、『少女七竈と七人の可愛そうな大人』を選ぶことにした。読み始めてやはり、持って回った文章だなぁと思った。でも、それが少女七竈を巡る世界に相応しい文体なのだと信じて読み続けた。

 「辻斬りのように」というタイトルの、序章的な部分で七竈の母親の語りで七竈を産むまでの経緯が書かれる。七竈の母親川村優奈はある日突然「辻斬りのように」立て続けに七人の男と寝る。その結果生まれたのが七竈なのだ。そのあとに一話から七話という見出しがついた本編が続くのだが、七つの話というより七つの章に分かれているだけで一連の物語と言っていいように思う。

 一話を読み始めたときに、語り手が高校生になった七竈、しかも美少女ということ。さらに母親のいんらんだと娘は美しく生まれるという仮説の話から、七竈はどこまでか知らないが自分の生まれた背景を知っていることが判る。その時点で何故かきっと、これは一話ごとに母親と寝た七人の男を殺す話なのではないかと思った。実際には、そんなことはなかった。ただ七人の男たちと七竈はすれ違ったり、会って話したりする。哀しくも切ない物語だった。

 一話を読み終えたくらいで少し慣れたが、桜庭一樹の文体はやっぱりしっくりこなかった。少女が話すときの言葉に使われるのはいいのだが、少女が語り手でも地の文に使われるとどうもしっくりこないようだ。話はとても面白かったのだが、どうしても最後まで違和感を引きずってしまった。
 この文体が意図的なのは判るのだが、なぜかどうしても引っかかるのだった。

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2007/03/07

作家の名前。

『となり町戦争』(三崎亜記 集英社文庫) 『少女七竈と七人の可愛そうな大人』(桜庭一樹 角川書店) 『図書館戦争』(有川浩 メディアワークス )  『となり町戦争』を読んで、三崎亜記が男性であることを知った。昨日読んだ『少女七竈と七人の可愛そうな大人』の桜庭一樹は、名前を知ったのがサイン会のポスターだったのだが、そのときに写真を見て女性だと知った。近々読みたいと思っている『図書館戦争』の有川浩も名前がヒロシなのに女性だと知ったときに驚いたが、名前の読みがヒロシではなくヒロだと知った。

 別に性別はどうだっていいけれど(どちらかというと女性作家贔屓ではあるが)、自分でも性別不明もしくは逆のペンネームも使っているけど、立て続けに最近興味を持った作家がすべて性別不明なのではなく、性別が逆のように見える名前ばかりというのは最近の傾向なのだろうか。

 そういやドラマだけど、『ヒミツの花園』の花園ゆり子先生は、男4人のペンネームだったな。

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『三四郎はそれから門を出た』

『三四郎はそれから門を出た』(三浦しをん ポプラ社)  『三四郎はそれから門を出た』(三浦しをん ポプラ社)を読む。

 いろいろなところに書かれたエッセイを集めた一冊。本の紹介、本にまつわるエッセイなどが半分、残り半分は必ずしも本と関係ないものも含むエッセイである。本を紹介するエッセイは、書評・ブックガイド的な位置づけだが、単なる内容の紹介とか、小説ならそのストーリーについての感想というのとは、ちょっと違う方向に走っていてエッセイとして読んでも面白い。
 著者自身、まえがきで「依頼者の意図からビミョーにはずれたエッセイばかり書いてしまう」と書いているが、依頼者の意図とは必ずしもずれてばかりだとは思わないのだが、それよりはこの本を紹介するのに何故そこに着目するか、みたいなズレだと思う。これは、貶しているんじゃなくて、そのズレがとても心地よくて面白い。

 僕の場合本でも映画でも、紹介しようとするとあらすじを書いたり、でも肝心なところは作品に触れてのお楽しみになるように外さなきゃいけないとか考えたり、総合的な評価はもちろん書きたいが、前半はいいけれど後半はもたつくというような全体的なことを書かなくちゃいけないような気がしてしまう。でも、三浦しをんの紹介の仕方って、全体よりも一部分でも自分が強く感じたことを熱く語ったりする。別に全体が見えなくともそれだけを頼りに読みたいと思わせる。
 調べようとすれば、どこでも調べられるあらすじなんかより、面白いところだけを熱く語る一点豪華主義的な書き方がいいのかもしれない。おかげで、読みたい本リストが一気に増えてしまった。

 それぞれのエッセイは、実はいろんなところに書いたもので、それぞれ雰囲気が違う。そのため、掲載場所毎に六章に分かれている。それぞれの扉の後ろには「いかなる背景で書かれたか」が記されているという、親切設計である(三浦しをん自画自賛)。せっかくなので、感想もそれに合わせて章ごとに書いておく。

 一章「犬のお散歩新刊情報」。1エッセイに1冊を取り上げてその本についてだけ書いているのが、あんまり書評的な堅苦しさはなくて、本好きの友だちと話をしているような楽しさがある。そういう視点で読むのかとか、ほぉそれなら読んでみようかなとか、思いながら読んだ。隔月刊雑誌の連載だったらしく、数が少ないのが残念。

 二章「三四郎はそれから門を出た」。朝日新聞の「中高生のためのブックサーフィン」というコーナーに連載していたという、つまり中高生向けの本の紹介エッセイ。だけど、中高生とか関係ない本が並んでいるのがいい。各エッセイに2冊ずつ紹介で、量が少なくて読み応えがないけれど、妙にそそるポイントをガンといれてるので、で読みたい本リストがどんどん増えてしまった。
 前半には、サドとかゲイの本なんかも出てきた上に、学校の図書館に置いて貰えばとか好き勝手なことを書いていて面白かったのだけど、後半は比較的真面目な読書ガイドっぽくなって、大人しめな気がした。依頼者の意図とずれていると指摘されたのかもしれない。

 三章「本のできごころ」。一章、二章のブックガイドと異なり、「本に少しでも関係することなら、なんでも自由に書いていいですよ」という依頼で紀伊國屋書店のPR誌に連載したものだそうだ。例えば第一回は、『虚無への供物』の氷沼邸があるはずの目白二丁目に行く話である。ところがそうそうに道に迷って、氷沼邸らしい屋敷も絞りきれないまま探索をうち切り、せっかく来たからとフォーシーズンズホテル椿山荘に行ってみる。第一回目からこんな感じなので、あとは推して知るべし。とても楽しいエッセイである。

 四章「役に立たない風見鶏」。『anan』の「カルチャーファイル」欄に連載されたという、本の紹介でも、本にまつわる話でもないエッセイ。「最新カルチャー」を紹介するというのが趣旨だったらしいが、例によって扉裏の雑誌掲載時の背景を書いたところでは、自ら「最新」でも「カルチャー」でもないものばかりという突っ込みがある。読んでみると、本当にその通りなのでおかしい。後半になればなるほど、カルチャーや『anan』らしいオシャレさから離れていく。でも、こういう連載が雑誌に載っていたらな、最新カルチャーなんかより、毎回楽しみだったはず。

 五章「本を読むだけが人生じゃない」。章タイトル通り、本を読む以外の三浦しをん。日常や家族の話なども多く、エッセイらしいエッセイ。連載ではなく、発表場所もバラバラなので、いろいろな話のオンパレード。

 六章「愛の唄」。1エッセイにつき、1冊の本を取り上げた書評的エッセイが中心。特にお気に入りの本について語っている感じがいい。

 「特別付録」として、裏表紙の見返しに「火宅拝見」という浅生ハルミンによる、三浦しをん宅のの見取り図がついている。全部が本当ではありませんとあるけど。

 最後に残念だったことを一つ。それは書影や連載当時のイラストがないこと。書影は三浦しをんの責任じゃないかもしれないけど、せっかく本の紹介なのだから、各記事のページに書影が欲しかった。
 イラストは、三章「本のできごころ」に毎回イラストが添えられていたとあり、長崎訓子のイラストにまつわる傑作なエピソードが書かれている。これを読んだらそのイラストを見たくなること必至。なのにイラストがついてないんだよね。これが一番残念。

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2007/03/08

ペース配分しなくては。

 今週、社会復帰して早々3日目にしてオーバーフロー。昨日は午前中予定外の休養を取った。

 今日こそ早く寝ようと思っていたのに、もうすぐ3時になろうとしている。今日の夜は久々、3ヶ月弱ぶりの飲み会だし、ペース配分を考えなくてはまたダウンするかも。

 ちなみに最近一日の周期が複雑なので、0時を過ぎたら、「今日」と考えて表記してみた。たぶんしばらくこの方向で。

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漱石にまつわるシンクロニシティ。

 そういえば、『三四郎はそれから門を出た』(三浦しをん ポプラ社)を読み始めてから、友人やネット日記で『三四郎』、『それから』、『門』を読んでいる人に出くわすことが急に増えた。流行なのかシンクロニシティだろうかと考えたが、単に自分の意識の問題だろうと思っていた。

 でも、そういえばユメ十夜も映画化されたっけと思って、映画の公式サイトなどを見ていて、漱石の生まれたのが1867年だと知った。つまり今年は漱石生誕140年なのだった。

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2007/03/09

昨日のこと。

『夏の名残りの薔薇』(恩田陸 文藝春秋)  昨日は久々の飲み会で、飲み過ぎた。1時くらいに帰宅、早々に寝る。

 でも今日になって思いだしてみると、テレビの録画予約の確認とか、壊れたノートPCのBIOS設定をデフォルトに戻して再起動するか確認とか、妙に細かいことをしていた。そのくせ、ワイシャツを畳んで、ソファに載せてあったりとか、意味不明な行動も。

 というわけで、映画の感想もなし、読書は『夏の名残りの薔薇』(恩田陸 文藝春秋)を読みはじめたところ。

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シンクロニシティ再び。

 自分のノートPCが壊れた途端、身近な人やネット日記などでPCが故障、データ喪失の話を続けて目にする。妙なシンクロニシティと思うが、きっと自分のPCが壊れたから敏感になってそう感じただけに違いない。

 ノートはほぼハードディスクの不良で確実だと思う。修理の見積を取ろうと思う。安いノートの値段を調べたりするが、XPで十分なのにどうせ買うならVistaとか思ってしまう。でも、「汝、バージョン.0を買うなかれ」に従い、SPが出た頃に買うのが無難だろうな。

 PCを使うときには自室に籠もるというのも、身に付いてきた。ノートがなくても生きていける、気がしてきた。

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「わるいやつら」

 「わるいやつら」最終回。

 今クールで割と面白かった、というかだんだん話が進むに連れ面白くなってきたドラマだった。上川隆也と米倉涼子が「わるいやつら」かと思ったら、社長夫人の小島聖、北村一輝、笛木優子演じるデザイナー、料亭の女将の余貴美子が次々と悪い本性を見せ始めるあたりから面白くなってきて、まさに誰もが「わるいやつら」だったんだという辺りから毎回楽しみになる。

 原作は上川隆也の戸谷医師が主人公のようだが、柳の下で丸々三匹のドジョウをつろうっていう米倉涼子主演の清張シリーズなわけで、ドラマではむしろ米倉演じる看護師の寺島豊美が主人公といっていい。たぶん、物語もかなり変えて豊美中心に書き換えられているのだろう。でも個人的には、米倉涼子がよくなるのは、最後3回くらいのような気がする。やっぱり、物語の主人公は医者の方であって、米倉涼子を中心に据えることに無理があったんじゃないかという気がする。

 それと「わるい医師」を演じていた上川隆也が、「巧妙が辻」で演じていたお人好しの男とは全然違う嫌らしいタイプの男を演じていて、その意外性と悪い男ぶりが結構気に入ったというのもある。最初のうちは大して悪そうでもないのだが、回が進むに連れだんだんその本性が現れる感じがしてよかった。最初はやむなくといういわば巻き込まれるように犯罪に手を染めるのが、だんだんに大胆になっていくという物語の進め方が効果的だったのだと思う。

 登場人物のもう一人お気に入りは、戸谷院長の友人である下見沢弁護士を演じていた北村一輝。北村一輝って、どちらかというと嫌いだったのだが、今回のドラマで結構気に入る。

 松本清張って、中学かそこらの頃にギラギラした短編を読んでしまって、面白いどころか単に不快な記憶しかない。そのトラウマで、読もうと思ったことは何度もあるのだが読めなくて、ほとんどの作品を読んでいない。ドラマを見て、たぶん原作の『わるいやつら』は全然違う話だろうと思うので、原作至上主義者としてはやっぱり読んでみたくなる。このドラマのお陰でトラウマを克服して読むことができるだろうか。

 物語とは関係ない話だが、料亭の女将を演じる余貴美子が毎回友近に見えて仕方なかった。友近の演じる銀座のママって、ポイントをついているんだなぁと変なところで納得。

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2007/03/10

昨日、リアル書店で。

(『間取りの手帖』佐藤和歌子 リトルモア)  昨日、リアル書店−−ecute大宮内のリブロに久々に立ち寄る。

 『三四郎はそれから門を出た』(三浦しをん ポプラ社)で、一日一回は本屋に行くなんていう話を読んで、自分もそうだったのに最近全然本屋に行っていないのは何故だろうとふと考えてしまった。大体、どこに行こうが途中に本屋があると、ふらっと入ってしまい、家に帰る途中に3軒も4軒も本屋に立ち寄ってしまうなんてことがざらだったのに。

 考えてみると、仕事場への行き帰りの通り道に、20時過ぎに開いている本屋がなくなってしまったからだと思った。利用する交通機関、乗換駅をちょっと変えたのだが、意外な盲点だった。そこでふと気づいたのが、ecute内のリブロ。フロア面積からして物足りないが、朝は8時、夜は22時半まで開いているのだ、立ち寄らないのはもったいない。

 で、平積みの本でちょっと面白かったのが『間取りの手帖remix』(佐藤和歌子 筑摩書房)。書影がないので、元の新書版の『間取りの手帖』(佐藤和歌子 リトルモア)の画像を貼っておく。

 変わった間取りが並んでいるのでわくわくしてしまった。間取りって面白いよね。それが一冊間取りだけの集まり。一言コメントやコラムも間に入っているようだけど、そちらは間取りに気を取られてあまり目を通していない。この間取りって創作なのか、と思っていたのだが、本当にあった間取りのようだった。立ち読みじゃなくて、今度じっくり読もう。

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家電沈没。

 洗濯機を回したら、すすぎで停止していた。ボタンをあれこれ操作してみるが動かないまま電源が切れる。もう一度電源を入れて、すすぎと脱水だけ指定してみるが、水が出てこなくて動かない。あれこれやっているうちに動き出したが、3.2Lの洗濯物を6Lの水ですすぎ・脱水が始まる。水の量って自動判別したあと、どこで変更するか判らない。

 パソコンが壊れたと思ったら今度は洗濯機か。「保証期間の支えを失った電化製品は、一気呵成に故障していくんだ!」という豊川悦司の声が聞こえてきた。スクラップ同然の旧PCで、僕はみんなを救いに行かなくてはならないのだろうか(ちょっと違う)。

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目に見えない変化。

 表からは特に変化は見えないが、ちょっとサイトをいじった。

 切っ掛けは、なかなか使いこなせていないソーシャルブックマークをもうちょっと活用しようと思ったのが始まり。うたかたの日々にも、はてなブックマークへの登録リンクでもつけるかなと思った。ちょこちょこっとプログラムをいじって、確認にブックマークを登録しようとして初めて気づいた。

 ブックマークって、URLに対して貼るけど、#で指定したname指定は無効なのね。うたかたの日々は、1エントリ1ファイルにしていなくて、月の前半・後半で2ファイルにわけていて、日付とエントリ毎にはファイルを分けてないんだよね。というわけで、特定のエントリにブックマークしようとしても、すべて「dr200703a.html」等の半月毎のファイルにブックマークされてしまうのであった。

 エントリ毎にファイルを分けるのは、別に大したことじゃないが、仕様をどうするかが問題だ。一度形式を決めてしまったら、パーマネントリンクにする以上なるべく恒久的に使いたい。どうするのが一番いいのか、ちょっと悩む。

 普通にブログのツールをいれたり、はてなダイアリーなどのサービスを利用すりゃいいのにね。

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試行運用

 はてなブックマークへのname付きリンクが登録できない件は、何のことはない「#」を「%23」にすれば問題なかった。というわけで、試しにリンクを作ってみたが、はてなブックマークってキーワードを自動的に登録してしまい、変更できない。そのときにキーワードは、html全体から拾ってきて、ちょっとそぐわないキーワードがはいってしまう。

 それからタイトルは、htmlのタイトルが自動的に設定されるので、内容毎に変更する手間もかかる。

 やっぱり、一件一葉で作るべきなのか。とりあえず、試行運用してみる。

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2007/03/11

ネット依存な一日。

 意図していなかったのだが、ほとんど一日中ネットにアクセスしていた。

 始まりはブックマークからというのは既に書いたとおり。ソーシャルブックマークが全般的にそうなのか判らないけれど、はてなブックマークは使い方がよく判らなかった。ずっと昔に試しにブックマークしたきり、そのままになっていて、ときどき見てみるけど、どう使ったらいいのか判らない。いや、ブックマークすることはわかるよ、でもどう整理してどう活用するのかが今までずっと見えてこなかった。

 最近、ネット知人のブックマークが大量にあるのを見たのだが、何の分類もなくただブックマークが並んでいるので、どう考えたらいいのだろうと思った。

 考えるよりやってみようということで、ブックマーク追加用のリンクを作ってみた。別に自分の記事をブックマークするのではないから、ブックマークの機能を付けてみようと思ったのが先かもしれない。ソーシャルブックマークがいろいろな意味で気になっていたということだ。
 サイトに追加したブックマーク用のボタンのテストで、ブックマークを追加していると、コメントにタグを利用できるということがわかった。今までそんなことも知らなかった。で、試しにタグを入れてみたら、右側にタグがグレーで薄く表示された。

 なんで他の人のブックマークには、タグがたくさん表示されているのだろうと思っていたが、自分ではタグを入れてなかったから表示されてなかっただけだと判る(なんだか相当頭が悪い気がしてきた)。
 しかも、タグを追加すると多く使われたキーワードなどが大きく表示されるが、数が少ないと、ブックマークを一つ追加するだけで大きく変わる。予期せぬ単語(といっても自分で選んだり入力した単語なのに)が大きく表示されると、ものすごく頭が悪そうでへこむ。

 タグをクリックすると、その選択したタグのブックマークだけが出てくる。これはごく自然な動きだが、タグが複数選択されていると、and検索のようにさらに絞り込むことができることを知る。

 ブックマークしたら、それを整理するために階層的な分類が必要なのに、それをするところがないと思っていたが、なるほどこのタグがその役目を果たしていたのだ。実をいえば、このタグの表示は、注目度によって文字の濃さやサイズが変わって表示されるのが面白いだけで、実用的な意味はないのだと思っていた。濃さや大きさに誤魔化されて気づかなかったが、よく見ればアルファベット順に並んでいるではないか(例によって漢字はコード順になってしまい、読みとは関係ないが)。

 ここへ来て、ブックマークは分類が難しいからタグづけするという考え方なのだとようやく判った。システマチックに分類したかったら、それなりのタグの付け方をすれば分類することもできるはずだと思い至る。

 ようやくわかったが、ブックマークばかりしても読まなきゃしょうがない。でも読んだブックマークはタグ付けとは違う整理をしたい気がする。そもそも読んでしまったら、ブックマークから外してもいい気がする。そんなわけで、まだ今ひとつ使い方がわからない。

 他の人のブックマークを共有できるのが、ソーシャルブックマークのいいところのはずなのだが、はてなブックマークのトップの人気のエントリーを見てもあんまりピンとこない。結局は、お気に入りのブックマークを探すことが大事なのかもしれない。

 そんなブックマークの使い方などを模索しながら、検索しながらいろいろな記事を読んでいたら、夜中になってしまった。そんなわけで、気がついたら一日中ネットにアクセスしていた次第。

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はてなブックマークのお気に入り。

 そんなわけで、はてなブックマークのお気に入りを探す。

 記事から追っていてもなかなか判断つかない。ふと思いつき、アンテナに登録している日記で、はてなダイアリーを利用している人のはてなブックマークを利用している人を確認する。

 全部確認した訳じゃないけど、使っている人は使っていて、使っていない人は1件も登録がないなど、結構極端な差があった。使っている人でも、使い道に迷っていた気配もあったりして、みんな最初は試行錯誤なのかもしれないと思ったら少し安心した(単なる自分の思いこみだったりして)。

 お気に入りを登録したら、お気に入りのブックマークが一覧できて、面白そうな記事がずらっと並び、興味のあるブックマークを見つけることがやっぱり重要だったんだと思う。

 とはいえ、このブックマークを片っ端から見ていくと、いくら時間があっても足りない。というか、読書は進まないし、映画を観に行く予定だったのも出かけず終い。

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ソーシャルブックマークを使う理由。

 引き続き、はてなブックマークを積極的に使おうとしてみている話。

 お気に入りに入れた他のユーザのブックマークを眺めていて、「小野和俊のブログ:ソーシャルブックマークを勧めたい7つの理由」というのを読んでみた。7つの理由については、該当のブログを読んで貰うとして、7つの理由が納得できて、ブックマークを使う理由になるかどうかについて。

1. 家でも職場でも友達の家でも使えるブックマーク

 なるほどとは思うけれど、ノートで自分のPCを持ち歩いている以外は、仕事用のPCや友人宅ではブックマークしないと思うので、自分にはあまり利点とは感じられない。セキュリティがどんどん厳しくなってきて、仕事用のPCから個人アカウントのサービスにはアクセスできなかったりして、はてなブックマークは試していないけど、ログインできないかもしれない。
 自宅以外で見つけたブックマークは、その場でメモ用のメールアドレスにメールするのが習慣である。URLに限らず、いろんなメモとかアイディアなどもメールする。
 個人PCが複数あるときにも、使うブックマークは決まっているので、それぞれで設定したりしてしまう。たくさんブックマークする人は確かに困るだろう。
 あんまりブックマークしないから、ソーシャルブックマークの整理する仕掛けが見えないとき逆にどう使ったらいいのかわからなかったのだなと思った。

2. たくさんの人が興味を持ったサイトを知ることができる

 ランキングやたくさんの人が興味を持ったサイトには、あまり興味が持てなかった。

3. 気になる人が興味を持ったサイトを知ることができる

 これは素晴らしい。
 お気に入りを登録して、初めてソーシャルブックマークに意味があると思えた。まだ試行錯誤しながら、はてなブックマークを使っていくと思うけれど、この機能だけで当分は飽きないだろう。

4. ジャンル指定で注目されているサイトを知ることができる
5. キーワード指定で注目されているサイトを知ることができる

 これも便利なのだが、はてなブックマークでは、自分のブックマークはタグを複数選択して絞り込んでいけるのだが、全体の中ではそういう機能がなさそう。検索にタグを複数指定して検索することもうまくいかない(やり方が違うのか、できないのか不明)。
 複数指定して検索するのではなく、自分のブックマークでタグを選択しながら絞り込めるのと同じ検索ができたらすごくいいのだが、それができないならあまり便利ではない。

 何となく、データ量が多すぎて、できないのではないかという気がするけど、どうなんだろう。

6. 気になるサイトについて言及しているサイトを知ることができる

 これは便利だが、検索エンジンを超えた便利さがあるかというと、今のところ判断が付かない。

7. 読み手と書き手のフランクなコミュニケーションの場

 これは意外な利点だった。ブログのトラックバックやコメントの機能って、便利さと同時にスパムや荒らしの温床でもあるわけだが、そういう欠点を克服した上で気軽(かどうかわからないが)コメントできるのはいい。

 そういえば、自分のサイトの記事にブックマークされているか検索できるのも便利。そのブックマークの数で、反応を知ったりできるし。ブックマークされた数が多いと、一種のステータスになっているというのも初めて知った。なるほどねぇ。

 以上まとめると、3と7はソーシャルブックマークを使う理由になる。1〜3と6はあまり使う理由としては納得できていないし、4と5は、今の機能(僕の知る限り)ではいまいち不満なので保留とする。ただ、3と7の理由だけで、使う価値は十二分にあると思う。あと、1の個人のブックマーク共有については、今はそんなに必要を感じないけれど、数を気にせずどんどんブックマークしていくならば、必要度が高くなりそうだ。

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2007/03/12

アンテナ更新チェックの改善。

 トップページのうたかたの日々の表示は、新しいものから過去一週間分を表示しているのだが、更新しなくても午前0時を過ぎると一番古い一日分が表示されなくなる。すると、アンテナは新規の日記がなくても、更新されたことになるという問題があって、実はずっと気になっていた。

 はてなブックマークへのリンクを追加するついでに「permalink」をあえて入れておいたのだが、そこまでのチェックをするようにはてなアンテナの設定を変更した。というわけで、めでたく問題は回避された。

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2007/03/13

アンフェア復習サイト。

 『アンフェア the movie』の予告をよく目にするようになったと思ったら、もう今週末公開なのね。ドラマシリーズの再放送もしていてるし、スペシャルの「コードブレイキング」も再放送予定らしい。「コードブレイキング」の最後にまだ続いてしかも「映画化」というのにはちょっと予想外だったので、すごく楽しみだったが、早いものだ。

 何気なく公式サイトを久々に見に行ったら、トップページに「@アンフェア」というリンクがあって(前からあったのかな。気づかなかったけど、)、接続先が「アンフェア復習サイト」。パスワードがあるので、番組の中で出てきたパスワードか、いやたぶんサイト内にヒントがあるだろうなどと思って、ストーリーなどざっと見たりして、試しに入力してみて笑った。アイディアだなぁ。単純だけど、結構こういうの好きだ。

 しかし、原作の秦建日子も応援しているとはいうけれど、結構複雑な心境だろうな。原作の『推理小説』から全く作品に関わっていない(とブログに書いてあった)し、原作のストーリーから最初のドラマから既に別の話へと変わっていくし、『 アンフェアな月 −刑事 雪平夏見』はドラマとは全く別のパラレルワールドの世界みたいなもんだから。

 作品って、自分の手から離れたら独立した存在なのだと割り切る人もいるけれど、こういうケースって珍しい気がする。巣立った子どもが、立派に独り立ちしたという感じではなくて、まだ養っている子どもが全く知らない人生を生きていたみたいで。書いてから十年くらい経っていたら、作者冥利に尽きると思えるような気はするのだが。

 それにしても映画を観る前に、ドラマシリーズとスペシャルを全部もう一度観たい気がするけど、そんな時間はなさそうだ。

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『夏の名残りの薔薇』

『夏の名残りの薔薇』(恩田陸 文藝春秋)  『夏の名残りの薔薇』(恩田陸 文藝春秋)を読む。

 文藝春秋の「本格ミステリ・マスターズ」の一冊。しかし恩田陸なので、「本格ミステリ」といってもちょっと趣向が違う。その話に触れていいのかいけないのか。その趣向について触れずにはこの本について語れないし、かといって未読の人には絶対話したくない。amazonのカスタマーレビュなんかでは平気でその趣向が書かれてしまっている。amazonの数行のカスタマーレビュは、やっぱり読む前の参考にもするのでばらして欲しくないことだな。

 久々に読む恩田陸で、しかも2004年の旧作だが、一応伏せて書こう。「主題」と題する序章のあと、「第一変奏」から「第六変奏」までの六章からなる物語だが、その「第一変奏」を読み終えて、語り手の違う「第二変奏」を読み始めてすぐにあれっと思う。そこにこの小説の趣向がある。

 読み進むうちに、つまりそういう作りなのだ、と判るのだが、それが何を意味するのか、どういう結末に向かうのか、いろいろと考えて、それがまた物語をさらに面白くさせてくれた。

 この小説には、アラン・レネの有名な映画『去年マリエンバートで』が出てくる。物語に出てくるだけでなく、映画と対をなすロブ=グリエの『去年マリエンバートで』の引用が、かなりの量含まれていて、それがまたこの物語の迷宮のような構造に不思議な効果を与えている。

 物語は、山の上にある別荘、しかも折しも降り出した雪に閉ざされて、「嵐の山荘」的状況を迎える。集まったのは、それぞれが秘密を持ち、牽制しあう金持ちの親戚たち、招かれた客たち。もう事件がいつ起こってもおかしくない状況で、ディナーでの奇妙な習慣が繰り返される。客たちを招いた、この資産家の一族の中で権威をもつ三姉妹、主たる登場人物たちのおばに当たる三姉妹が、どこまで事実でどこまで嘘か判らない、グロテスクな思い出話を語り出す。そして、起こる殺人事件。いや、殺人事件は起こったのか?

 犯人は誰かという謎解き興味よりも、最初書いた趣向がこの物語はどういう結末を迎えるのかという興味に惹かれる。恩田陸のミステリというと、どこか結末で突き放されるかのような印象を受けることが多いのだが、この小説もあたかも真実などというのは、幻想でしかないとでもいうような「本格ミステリ」から一番遠いような結末を迎えるようでいて、幻想もまた真実と何が違うのかと思えるような奇妙な納得をしてしまう。

 これって、ちょっと書きすぎかもしれないので、ここまでにしておこう。
 読んだ人には同感して貰えて、読んでない人には「何を言っているの?」と思って読んでみたくなって貰えると一番嬉しいのだけど。恩田陸の中でも、結構好きな作品である。

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2007/03/14

明けない夜はない。

 そういえば昨日、ただ何となく、トップページの画像を朝に変えてみた。

 トップページの写真は、ページのデザインを変更したときに、アクセントが欲しかったので画像を置いてみた。本当は、この写真は毎日とはいわなくても、数日ごとに画像を変えていこうと思っていた。

 最初のうち、朝からだんだん夜に変わっていったのだけど、夜中の画像になったあと、そのままずっと変えてなかった。
 今回変えたのは、新しい写真ではなくて、デザインを変更した当初の画像。何か新しい写真を撮って、変えていきたいと思う。

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『ハケンの品格』最終回

 いろいろ不満を感じながら、結局最終回まで観た『ハケンの品格』。

 何が不満って繰り返しになるけど、「スーパーハケン」といいながらコミュニケーションを拒否するところで、業後の飲み会を断るのは別にいいけど、仕事中のコミュニケーションがうまくとれなければ仕事にならないという点。仲良くすることで円滑に薦められるとかそういうことではなくて、誰が何をいつまでにどうするかといった指示さえ拒否するようなところが、それはあり得ないと毎回思っていたのだった。

 でも、それをただリアルにやってもドラマとして面白くないのかなと思っていたのだが、後半になって本当は全く逆でコミュニケーションを取りたい人なのかなと思えてきて、最終回の今日ではその辺の真相がわかる。そういう意味では、うまくしてやられた感じ。判っていてわざと作っていたのね。

 『ハケンの品格』は、篠原凉子扮するスーパーハケン大前春子が、毎回番組の最後に意外な資格持っていて、問題を解決するというパターンになっていた。いわば、水戸黄門の印籠のように資格が出てくるわけで、これはなかなかよかった。僕はステレオタイプなパターンには、時代劇でいえば水戸黄門型と銭形平次型があると思ってる。

 水戸黄門型は、「水戸黄門」で最後に印籠を見せてすべてが収まるパターンで、「遠山の金さん」でも「桃太郎侍」でも同じである。銭形平次型は、銭を投げるというのは決まりなのだが、その使い方にバリエーションがある。下手人に銭を当ててやっつけるのが一番ポピュラーなパターンだが、記憶に残ってる中で好きなのは、釣り天井のからくり屋敷で銭を投げてからくりの歯車に銭が挟まり落ちてくる釣り天井が止まるというもの。

 『ハケンの品格』は資格という印籠のようでいて、毎回違う資格で解決していく辺り、むしろ銭形平次型なのかもしれない。

 物語の最後、三ヶ月しか契約を続けないというルールを破って、大前春子が変わるのかなぁと思っていたが、そこは初志貫徹、そしてエピローグ的な話が続くのがよかった。物語っていうのは、終わりが始まりで、決して本当の最後にはならないものだと思う。『ハケンの品格』は、終わりが新たな始まりとなっていて、物語になっているのが好きだなぁ。

 というわけで、結構不満があったはずなのに、トータル的には好きな話になっていた。

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2007/03/15

電車の中で読んでた。

 『恋愛の解体と北区の滅亡』を読んだ。

 日常的な出来事に一々理屈っぽく考えているのが、友人のウェブ日記を思い出す。昨日から電車の中で読んでいたが、話の後半で主人公は風俗に行ってSMプレイをしようとする。雰囲気からして『トパーズ』みたいにいやらしくないので、あんまり気にせず読んでいたのだけど、ふと我に返ると、電車で読む本じゃないなぁと思った。

 内容を理解しながら読んでいると別に恥ずかしくもないのだが、逆にストーリーを読まずに字面だけ見ると、変な単語ばっかり並んでるわけで。

 三浦しをんが、電車の中で他人の読んでいる本が気になるというエッセイを書いていたが、僕も気になるたちだ。自分が読んでいるときには気にならないが、一度満員電車などで身動き取れないと、その中で無理矢理読んでいる人の本が気になってつい何を読んでいるのか当てようとする。だって、こちらは混雑しているから読むのを諦めているのに、自分だけ読んでいるなんてずるいじゃないの。

 なので、字面だけ覗き込まれて読まれると、何読んでるんだと思われそうだ。

 感想を書こうと思っていたけど、mixiで遊んでいたら遅くなったので、また明日。

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2007/03/16

送別会。

 送別会で18時半から飲む。二次会にも行って23時過ぎまで飲む。

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アンフェアな人のための@アンフェアのパスワード

0007 肩車
0034 DVD
0062 ライター
0071 キラキラ星
0092 クーデター
0099 新宿中央署
0122 特殊班
0132 薫ちゃん
0177 拳銃
0151 仕手戦
0193 バツイチ/子持ち (バツイチ)
0200 手袋
0211 取調室
0249 アンフェアなのは誰か?
0262 日報新聞社
0275 募金型誘拐事件 (10円)
0310 ラーメン屋
0325 監視カメラ
0332 古川水門
0355 港南倉庫
0429 焼肉弁当
0432 ブラックコーヒー
0452 射撃 狙撃
0479 ふたつの命
0494 0034
0495 バツサイト
0501 教会
0504 全国指名手配
0508 T.H.
0517 金平糖
0522 か弱き者
0526 After X comes Y (Yのみ入力)
0530 出世
0538 岩崎書房
0546 新宿コインロッカー
0554 美央の絵
0579 私
0580 ジャパンオンラインバンク
0601 色鉛筆
0606 鏡
0615 アンフェア
0619 パソコン
0648 ナイフ
0651 社会福祉法人 希望の丘学園
0654 コート
0680 公安
0681 動物好き/カズにぃ (17歳)
0688 CL0034
0693 逆探知
0697 愛する者
0783 誠文出版
0802 栞
0804 無駄に美人
0905 監禁 (地下)
0947 ひき逃げ/もみ消し
0971 都築第二ビル

安藤一之
伊原秀雄
今井英明
小田切
久留米隆一郎
小久保祐二
斉木陣
斉藤ユタカ
佐藤和夫
佐藤美央
鈴木弘務
瀬崎一郎
武田
龍居まどか
野口耕二
蓮見杏奈
平井唯人
広田裕次
松本理恵子
松田敬吾
橋野美樹
牧村紀世子
三上薫
森川静雄
安本正広
山路哲夫
雪平宗一郎
雪平夏見

現場→アンフェア殺害現場リスト
パチンコ→パチンコ店のポスター
喫茶店→喫茶店紹介ブログ
香緑苑→香緑苑サイト
もつ兵衛→もつ兵衛サイト
牛乳→牛乳サイト
家政婦→ふれあい家政婦紹介所のサイト

(3/17追記)自力発見を追加した。

(3/18追記)mixiのコミュニティで、@アンフェアを制覇するというページにまとめていたのでリンクしておく。

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これまでのうたかたの日々

2014年
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□2002年
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記事一覧

露地書房とスパムメール。
遠吠書店。
ノートPCを見る。
最近の読書など。
掲示板バグ修正。
過去発掘など。
『となり町戦争』
二週間の休暇。
『龍が如く 劇場版』
『蒼き狼 地果て海尽きるまで』
『少女七竈と七人の可愛そうな大人』
作家の名前。
『三四郎はそれから門を出た』
ペース配分しなくては。
漱石にまつわるシンクロニシティ。
昨日のこと。
シンクロニシティ再び。
「わるいやつら」
昨日、リアル書店で。
家電沈没。
目に見えない変化。
試行運用
ネット依存な一日。
はてなブックマークのお気に入り。
ソーシャルブックマークを使う理由。
アンテナ更新チェックの改善。
アンフェア復習サイト。
『夏の名残りの薔薇』
明けない夜はない。
『ハケンの品格』最終回
電車の中で読んでた。
送別会。
アンフェアな人のための@アンフェアのパスワード


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